●アルプスデビューは立山でした。
私が初めて山らしい山に登ったのは、北アルプスの立山でした。まだ、アルペンルートなるものが貫通しておらず、室堂へ入るには富山県側からしか交通手段が無かった頃のお話です。今でこそ立山は年間百万人も訪れる、一大観光地になっていますが、その頃の立山は静かな山であった様に思います。(勿論登山者は結構居ましたが...)当時の私はと言うと、バリバリの幼稚園児で(歳がバレテしまいますねエ)、山といえば秩父、と言っても奥秩父ではありません。今では奥武蔵と呼ばれている領域の里山に、父親に連れられるままに登って、と言うより歩いていた程度でした。この時も気分は遠足で、父親に連れられて「ちょっと高い山に登るんだぞ」と言った感じで、今から考えると無謀と言うか怖いもの知らずと言うか、まあ「極楽トンボ」の状態だったのです。
上野発の夜行列車に乗って富山まで行くのですが、初めての夜行列車に寝られる訳もなく、一寸「うとうと」した程度で富山に着いてしまいました。ここから、富山地鉄、立山ケーブル、バスに乗って室堂まで入るのですが、どれも新聞の朝刊を運ぶ始発でした。室堂で宿泊予定の宿に荷物を下ろした後、まだ残雪の残っている室堂平を横切って、一の越を目指して歩き始めます。この頃は、今より雪が多かったのか、残雪がゲレンデとして充分な広さがあり、スキーを楽しんでいる人が結構いました。今、改めて歩いてみると室堂から一の越まではすぐなのですが、コンパスの小さい子供にとっては結構な距離に感じました。
●ぼく、ここでお留守番している。
一の越からは急登になります。小さな子供が高山に上っているのが珍しかったからか、すれ違う小父さんや小母さんに「えらいわねえ。」といわれる度に、単純な私は誇らしい気持になって、ますます元気良く登ってゆきます。後から聞いた話ですが、この時の私は前を行く人を追い抜いては、後方から来る父に向かって「はやくう〜」と声をかけていた様です。
上を見ると、雄山神社の休息所がかなり大きく見える様になって来ました。

ただ、この頃私にはちょっと気になる事がありました。何か首が重たいのです。この頃の私は未だザックなる物は背負っていません。水筒も父のカニサンリュックの中です。それなのに「首の後ろにでっかい石が乗っている」様に感じるのです。変だなあと思っているうちに、こんどはお腹が変になって来ました。車に酔ったときの様に、ムカムカしてくるのです。「胃袋がひっくり返った様なむかつき感」が止まりません。ついに足までふらふらして来て力が入りません。「もう好きにして」と言った状態で、とうとう座り込んでしまいました。追いついてきた父に「ぼく、もうここでお留守番している」と、訳のわからない事を言っていた様です。
●雄山山頂を目の前にして...。
さっき元気に抜いてきた小父さんや小母さん達に、「早いわね。ここでお休み?」と声をかけてもらっても、元気なく首を立てに振るのが精一杯の状態でした。どれくらい休んだでしょうか。見ると下から私と同じくらいの女の子が登ってくるではないですか。親に手を引かれながらも、ゆっくりと確実に近づいて来ます。元来が負けず嫌いな私は「このままでは抜かれてしまう。これは負けられない」とでも思ったのでしょうか、立ち上がってみました。しばらく休んでいるうちに高度順応したのでしょうか、なんとか歩けそうです。「もう少し休んでいたら。」と言う父に、「もう少し登ってから休む。」と言って歩き始めました。
こうして何とか雄山神社の休息小屋までたどり着きましたが、ここが限界だった様です。再び気持悪くなった私は、小屋の日陰で横になってしまいました。休息所から小さな社のある雄山頂上までは、ほんの50m位なのですが、もう登れません。今度は本当に「御留守番」をする羽目になりました。
一般的に大人に高山病が現れるのは3500m程度と言われており、個人差はあるものの、国内では富士山以外の山で高山病になる事は稀だと言われています。ただ、子供は一般的に高山病になる高度が低く、この頃の私は、2900m程度が、高山病になる高度だったのでしょう。
さて、とうとう雄山の頂上に登る事が出来なかった訳ですが、いつまでも休息小屋の脇で寝ている訳にもいかず、ゆっくりゆっくり下山を始めました。このままでは「室堂まで随分時間がかかるだろう」と思ったのですが、100mも下ると、お腹のムカツキ感がウソの様に消えてしまいました。登る時に座り込んでしまった地点を通過する頃には、朝と一緒で元気元気の状態にもどっています。ついさっきまでぐったりとしていたのがウソの様です。こうして心配した下りも無事クリアして、室堂の宿泊地まで戻ることが出来ました。
どうやらこれが、現在までの最初で最後の高山病の様です。これ以降、高山病で横になられては適わないと思ったのか、小学校の高学年になる迄、父の連れて行ってくれる山は再び東京近郊の低山になってしまいました。そして思い出深い立山・雄山の頂きを踏んだのは、この約30年後になる98年7月の事でした。
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